母の死
5月27日、母が95歳の生涯を閉じました。
去年の1月転んで大腿骨を骨折してから、歩くことができなくなり、徐々に衰えていきました。
肺炎になり、食べる力が弱り、最後には、お水が飲めなくなりました。
延命措置はしない自然死が一番母にとって幸せではないかと考えました。
病院に行くことなく、安らかな最期でした。 これでよかったとつくづく思います。
波乱万丈の人生、辛いこともたくさんありましたが、
老後は、孫やひ孫に恵まれた穏やかで楽しい毎日だったと思います。
7月18日、石川県大聖寺にある願成寺で49日の法要をして、父の眠るお墓に入りました。
寂しいです。
母は、お茶、お花、裁縫、料理、どれを取っても上手でした。
読書会をしたり、旅日記を書いたり、「志ん子の戦後史」という自分史を書いたり、俳句を作ったり、
絵を描いたりして生活を楽しんでいました。
祖父母の看病が終わってからは、公民館の主事を引き受けてはじけたように生き生きとして活動しました。
母がこんなに力のある人だったことにそれまで私は気がつきませんでした。
それまで主婦として、黙々と姑や夫に仕えて働く母の姿ばかりを見てきたからです。
父が亡くなってから2年半、私と夫と母の3人で暮らしました。いい思い出です。
母の言葉は、まず「ありがとう。」の感謝から始まります。誰に対しても優しく感謝の気持ちを伝えました。
お世話になった「かりん」のスタッフの方々に、「志んさん、志んさん」と愛され親しまれました。
ユーモアたっぷり、愚痴を一度も聞いたことがなく、正義感が強く、明るく前向きな母は、
私の最も尊敬する人生の師です。
長い間、本当にありがとう。
父も母もずっと私の心の中にいるからね。
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